コントラバスの日本への輸入

プラハ派のコントラバス奏者等の歴史を遡る前に、日本のコントラバスの歴史について少し遡っていきたいと思います。

まずは、日本にいつ初めてコントラバスが輸入されたのか。

1880年
「日本にコントラバスが輸入されたのは、明治13年6月8日『昔楽取調掛文書』第48号によると、音楽教師メーソン氏に委嘱して米国にヴァイオリン・ヴィオラ・チェロと共にコントラバスを注文している。
演奏についての記録では、明治14年7月8日,宮中に於て管弦楽が演奏され、編成は10名でその中にコントラバス奏者山井基万氏の記録がある。」*

1639-1853年まで日本が鎖国をしていた事、日本初の交響曲を作曲した山田耕筰氏が1910年にベルリン音楽大学に留学している事を加味すると、この1880年のコントラバス輸入が日本最初のものと考えるのが妥当だとは思いますが、鎖国解除から27年もの間、日本人はコントラバスと出会わなかったのでしょうか...

そして、山井基万氏がどの様にコントラバス奏法を習得したのかが非常に気になる所...

今も当時の楽器、どこかに残ってるのかな...?

何か資料等、ご存知であれば教えて頂けると有難いです。

初めてコントラバスを見た日本人の反応も気になる所ですが、流石に記録には残っていませんよね。。。笑

ちなみに、日本初のコントラバス専門店は1984年設立の弦楽器の山本さんの様です。
まだまだ思ったより日本のコントラバスの歴史は浅いんだなーと実感。

引用
*http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4844/bass1.htm

Čau x Čau

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